さざれ石物語

Sazareishi's Story

日向市伊勢が浜・大御(おおみ)神社の「さざれ石」の詳細をご紹介します。

さざれ石物語

国歌「君が代」に唱われている「さざれ石」の存在を知ったのは、宮崎県最北部北浦町の宿、「さざれ石・高島」のご主人、工藤さんとの出逢いからだった。北浦湾の外にある高島に、引き潮の時に現れる石が、その「さざれ石」だということで、石の一部が見本のように宿の玄関先に置いてあった。大小の石が砂を接着剤如くにしてくっつき、塊となっている。

それから暫くして、同じような石が、実はもっと大規模な形で日向の海岸の一角にあると聞いた。いつかはその石に巡り会いたいと思っていた矢先に、日向市伊勢が浜・大御(おおみ)神社の宮司・新名光明さんと出会った。

聞くところによると、平成15年の秋に、境内の拡張整備をしていた時、雑木や雑草の生い茂っていたところから、異様な形の岩が現れ、調べてもらったら大規模な「さざれ石」だとわかったそうだ。

大御(おおみ)神社

門川町在住で日本地質学会・会員の足立富男さんの話では、かつて日本が大陸と地続きであった約2000万年前、日向地方は広範囲にわたる浅い海岸平野で、大陸から大河によって運ばれる大量の礫(れき。石ころ)が、河口付近にたまり、粘土・砂などと混じって。長い年月の間に大きな固まりとなったのが「さざれ石」の成り立ちだ。「庵川礫岩(いおりがわれきがん)」と名づけられたこの一帯の地層は県北部各地で散見される。

尾鈴山系海底火山活動によって海側からもたらされた火砕流で、さざれ石はほとんどが覆われてしまったが、ここ大御神社一帯だけは火砕流の難を逃れたという。火砕流は、現在の日向海岸一帯に見られる柱状節理(ちゅうじょうせつり)、いわゆる【溶結凝灰岩(ようけつぎょうかいがん)】となった。

今日も、日向灘より寄せ来る大海原の白波は、荒ぶる海岸の柱状節理に押し寄せる。その昔、ニニギノミコトがお立ちになり、絶景の大海原を眺望されたと伝えられる巨大なさざれ石「神座(かみくら)」。

周囲30m、高さ4mの苔むしたさざれ石が、「君が代」の千代に八千代の歌詞そのままに、永遠の時を刻んでいる。

 

筆・松本孝一(元 南九州旅先案内誌 月刊「徒然草」代表)

さざれ石